警察沙汰

投稿コラム 本稿は弊社のご利用者様の実体験をコラム化したものである。

警察沙汰になって逮捕されたらどうなるのか?
「私」と知り合った仲間の留置場体験


 警察署の1階は主に交通関係の窓口になっている。遺失物の取り扱いで厄介になったことがある人もいるだろう。あるいは、前を通るくらいで、警察署などまるで厄介になったことがある人も少なくないだろう。
 そもそも「警察沙汰」といっても、詳しい人には大騒ぎするほうがおかしいのだが、年代によっては、警察に関わること自体、反社会的な事柄と断定する向きもあった。
確かに、一般には市民が警察署の2階以上に行くことはないだろう。しかし、ひとたび、何らかの形で被疑者(わかりやすく言えば、「容疑者」)となれば、2階にある刑事課や留置場に行くことになる。本当に確たる証拠と言動、犯行があるのなら、それは仕方がないかもしれない。
ところが、被疑者/容疑者といっても冤罪もたくさんある。しかし、ひとたび、取り調べとなると、長時間、拘束され、心身にプレッシャーをかけられる。
刑事や警官から、一方的に罵倒され、あたかも重罪を犯したように暴言を吐かれ、痛烈な罵詈雑言を浴びせられることにもなりかねない。
 筆者は、長年、平凡なサラリーマン生活を送り、エンジニアの仕事をしてきた。その後、50歳、少し前の中年になり、いくつかの「軽犯罪」を繰り返した結果、留置場経験をした「私」の経験談を紹介したい。
予め断っておくが、この「私」は筆者のことではない。複数の人物の経験をまとめ、一つの物語としたものである。便宜上、私の体験談としてまとめられている。ただし、1つ1つのエピソードは特定化を避けるために事実関係を多少、変更してあるが、いずれも、事実として聴かされた出来事である。
すなわち、一部、事実関係の特定化を避けて伏せてあるが、すべて実際にあった出来事であり、それを元にまとめられた物語だということだけは、最初に申し上げておきたい。

 吾輩は猫? ではないが、「私」には際立った特徴がある。
それは、何かに夢中になると、時間も、自分の居場所もすっかり忘れてしまう悪い癖だ。よく言えば、集中力があると言えるが、実生活では、逆になることが多い。つまり、注意散漫でうっかりしているということになるし、ユングが言うところの、内向的な性格なのかもしれない。
例えば、「私」は、毎日、座って出勤するために始発駅から電車に乗るのだが、そのために急行の2倍近くの時間をかけている。各停を用いるのは単に座って移動したいがためであるが、それでも、いつも時間を忘れてしまい、降りるべき駅で確実に降りたことはほとんどない。だいたい2-3の駅を乗り過ごし、引き返して出勤するのが毎日のこと。さらに、帰宅の際も、どういうわけか、一駅くらい乗り越してしまうのだ。
この癖は若い時からのことで、車中で何かしていると、読書していること、酔いつぶれてしまっていること、大概は居眠りをしていること、さらに、単になんとなく考え事をしているということに過ぎない。スマホをいじっていることもこの10年ほどは起こってきた。
そんな私からすると、目的の駅で確実に降りていく人がいかに駅の放送などに注意を傾けられるなと感心する。すごいなあ、まねできないなと思うのだ。
私は、仕事をしている時、大半の時は話しかけられても気が付かない。背中を押すなりしないと気付かない。新人の頃は電話の音に気付かず、さらに、電話に出ても、突然の頭の切り替えができず、いつも、いつも頓珍漢な対応して、女子社員にクスクス笑われたことがある。
また、話し声や雑音、音楽が苦手で、そういうものがあると、誰かと会話をしていても、考えがまとまらず、どうも頭の中が混乱して、自分自身が支離滅裂になってくるのだ。
そんなわけで、私は大学を出て10年余りでサラリーマンを辞め、業務請負でフリーランスのITコンサルタントになった。フリーになって年収は3千万、2-3名程度、人も使い、10年ほど順調に推移していた。しかし、いろいろ事情があり、私は、お人よしの経営で取りこぼし、放漫経営で破綻、紺屋の白袴、指導するほうが指導を受けるようなあんばいとなり、細々と一人でやるようになり、そして、48歳の頃、面倒くさくなって、その後、資産を身内に譲渡し、生活保護を受けるようになった。
保護を受けるということは追い詰められて大変だろうと思うかもしれない。しかし、意外なほど快適なのである。取り立てもなければ、差し押さえもされない。とにかく爪に火をともすような暮らしをしていれば、それで日々が過ぎていく。そればかりか、保護を受けると、年収にして400万相当に匹敵するとも言われるが、医療費や水道代などが無償で、意外にその保護の水準は手厚い。さらに、私には、月に10万程度のソフト販売の固定的な収入がある。身内の名義で、個人の通販サイトで売買している。

1.缶ビール2本の窃盗と2泊3日の初留置体験
 私は47歳の時、海外旅行(上海だったように記憶する)から帰ってきた。池袋から下車し、急行の止まる西武線の、とある駅に飛び降りた。夏の暑い日だった。とにかくうだるように汗が流れ、私は大荷物を持っていた。
私は、チェーンストアの一角にあるカフェで水をグイグイと3倍ほど飲んだが、それでも汗が引かなかった。そして、アイスコーヒーでも飲もうとしたが、すごい行列で、並ぶのは面倒になった。ただ、単に面倒臭くなったのだ。
そこで、思い切って地下の食品コーナーで缶ビールを買って飲めばよいと軽率にも考えてしてしまった。これが、私らしい判断ミスだった。
コンビニに行くのが賢明だったのだが、私はその時、パスポート、現金(外貨を含む)、通帳など貴重品を所持し、腰の高さまである、大きな旅行用のカートと、ビジネス用カバンを持参していたが、クライアントの情報が満載のパソコンまで持っていて、店の一席に置いていたので、店外で、しかも道路向こうのコンビニに行こうという気は起らなかった。
 結局、私は、地下の食品売場に行き、缶ビール2本を手にした。そして、想定外の長い行列に並ぶことになった。しかし、私は、貴重品てんこ盛りの手荷物が心配で、しだいに気が気でならなくなった。こんな些細な判断ミスを軽率というのであろうが、どうも軽率なことをしてしまって私は、気になって仕方がない性格なのである。
気分は海外ムード、行列待ちに苛立って、あろうことか、私は、いつの間にか、缶ビールを抜いてグイッと飲んでしまったのだ。その後、ビールをすすりながら、2缶のうち、1缶はそこら辺の代に載せ、そのうち、2個目もそこらへんに放置し、レジに並んでいる列から離れるってしまった。
そうすると、待ち構えていた防犯係に声をかけられ、いつの間にか店長室に連れていかれた。
 まず、私が閉口したのは、店長の恫喝だ。
 「物を盗むにもいろいろある! 腹ペコでしょうがないので、おにぎり一つだけ盗んだという例が、例えば、あるかもしれない。しかし、あなたが盗んだのはサントリーのモルツ、高級ビールだ。盗む行為はどちらもよくないが、金がなくて、盗むにしても、特にいじましいと自分で思わないか?」
 というのだ。
 私は、確かに、外形的には、この時、初めて人生で初めて窃盗犯になってしまった。しかし、私は、金がないわけでもなかったし、缶ビールの銘柄などよく見ていなかった。まして、金がなくて腹を空かせてビールに手を付けたわけではない。
しかし、言い訳などできる状態ではなく、店長と女性社員、防犯係のおばちゃんが罵詈雑言、全く反論もさせない。これは、一般論ばかりなのだが、反論を許す機会を与えられないだけに、非常に苛立つ場面である。
私は、冷たい飲料がほしかっただけで、高級ビールを狙ったわけではない!
腹が減っておにぎりを食べたいと思って、盗んだわけではない。
支払う気持ちが微塵もなかったわけではない(経済学で言うwilling to pay)。
 いずれにしても、結局、私は、逮捕されてしまい、成人して人生初めて警察にしょっ引かれた。せいぜい説教されるだけだと思った。しかし、淡々とした取り調べの間、私は、逮捕されたということがわかった。
 私は、管内に当たる警察署に連れていかれ、長時間の取り調べを受けることになった。そして、
 「1件だけ、キャンセルするために電話したいのですが」
というと、
 「ダメです。あなたは逮捕されています」
と言われた。
 外部との連絡が一切、取れないのだ。しかも、後にわかったが、48時間後を目安に、国選弁護士が決まって、弁護士がやってくるまで外部とのコンタクトが取れない。
 そうなると、家族や勤務先などと音信不通になってしまう。連絡を自由に取っていいのは弁護士だけになるが、国選弁護士というのは、耳が悪い老人や、なって間のない頼りない人が多い。安心できる人は普段から決めておかないと困るだろう。
 私はこの時、人生において初めて逮捕されたのだ。そして、その事実を自覚した。夕方4時頃になり、私は、警察署内の留置場に入れられ、拘留された。
 同じ部屋には、後に述べる窃盗常習犯の田辺さん、それと東大を出て一流企業に勤めているらしいAさんがいた。

2.新聞社から数億円巻き上げた田辺さんの逸話
まず、田辺さんは、好々爺とした人で、どこにでもいそうなおじさんという印象を与える。しかし、話を聞いていると、人情味があり、人柄は温かいが、執念深いところもあり、敵愾心も強い。敵に回したら怖い人だ。
田辺さんは、私に名前を教えてくれたのは私が検察に向かうその寸前のことだった。それは、田辺さんから着替えを差し入れてほしいと頼まれたからである。この程度のことだと思うが、こういうことが国選弁護士にはできないのである。また、田辺さんは貴重品を大久保のロッカーに預けているようだったが、それも送ってほしいらしかったが、弁護士から連絡が付かないと言われているということだった。
田辺さんは中学を出てから上京し、新聞配達を始めるようになった。精勤した甲斐あって20歳代には、店舗のオーナーになれた。時期もよかったのだろう。新聞と言えば、2紙は最低でも購読する時代があったからだ。新聞購読は文化を享受し、国民としての教養の最低限の象徴だった。新聞をきちんと読んでいるかは、学校教育でも問われ、就職活動でも問われた。そして、新聞を丁寧に読む田辺さんは政治経済にも一家言あり、朝日新聞の社会部的な目線も持っていた。
詳しい事情はともかく、特定の新聞社の販売店から別の新聞社に移ることをマーク替えというらしい。これはたくさんの業界で同じようにそういう。特に、ある時期の新聞社は、準備金もしくは支度金と称する名目で、たくさんの他社の販売店に5千万相当の金を気前よく支払った時期があるらしい。さらに、マーク替えを引き留めるための引き留め金なども払われていたようだ。
田辺さんは、コツコツと働いても、大新聞社が実はアコギで、搾取的で、詐欺的で、欺瞞に満ちていることに怒り、憤りを感じていた。
実際、人気キャスターだった筑紫哲也(故人)が、「インテリが書いてやくざが売る」と言っていたことがあるが、新聞の集配所の営業ほどまめで、執念深いものはない時代があった。ただ、筑紫の見識がどうであれ、新聞記者の多くは専門的な出来事には、深い知識(というよりも情報)を持っていると驚かされることが多いし、要点を把握する力は概して高いが、深く物事を考えるとか洞察する力があるかというと、疑問を持つ。
田辺さんは、半年余り周到な準備を行ない、準備金、支度金、引き留め金など費目はともかく、3つの新聞社から2億円近い金を受領し、忽然と失踪した。田辺さんは独身、住民票などもそのまま、従業員にも何の知らせもなかった。
言うなれば詐欺なのだが、これは、全く立件されておらず、田辺さんも一切、違法性を問われていない。むしろ、大企業の払う販促費費目の金こそが裏金であり、新聞社としては表に出させる話題ではなかったのだ。
時期は70年代から80年代にかけてであろうが、この時期、石油元売りも繊維メーカーなども、同じようなことをしてマーク替えして販路を拡げていた。もちろん、総合商社もこのような商法は得意だった。子会社を使って販売店を転がす商社は、人材力も優れていたが、この手の商売の仕方では実に意思決定が早く、迅速な会計処理をしていた。
田辺さんは国内の温泉地を豪遊し、朝から酒を呑み、女の子にはチップを弾み、最高級の部屋に泊まり、夜は枕芸者を呼んで、一人寝の寂しさを癒し、豪快に札束をばらまき、かといって最後、清算するかというと、強者である旅館の代金は踏み倒し、3週間、あるいは1か月半を目安に、忽然と温泉地から消え、二度とその温泉地に行かず、次の温泉地へと現金だけ抱えて去ったという。確かに、現金さえあれば、ほとんど必要なものは何でも入手できる。自動車など足のつくもの以外は問題ない。
こうして田辺さんは、大新聞社が気前よく払った金を1年余りで豪遊しまくったと得意げに語った。
田辺さんの次のシノギは、というと、これも新聞社だ。
まず、レンタカーでトラックを借りる。信頼置ける友人に運転を頼む。適度な距離のところに自動車を停め、販売店の洗剤などを倉庫丸ごと分、トラックで積載し、当時、トップと呼ばれるブランドの洗剤は特にバッタ屋が買い取ってくれたらしい。
いわゆる安売り王などと看板を掲げている店があるが、利の秘密は盗品などを巧みに仕入れているのである。
船井総研の会長をしている小山政彦氏も、実家は、下町の安売り店だったというが、盗品や、時代に先駆けて中国製品などを買い取り、原価を徹底的に下げ、さらに、電池の儲けを1円以下にするなどして、莫大な売上を作ったのかもしれない。どこのスーパーでも牛乳と卵は投げ売りで利幅はほとんどないが、乾電池だけならできない世界ではないし、盗品に手を出せば、原価は飛躍的に引き下げることはできるだろう。バッタ屋と呼ばれるゆえんだ。
ちなみに、新聞の集配所は、販促のために客にばらまくモノの在庫管理は一切していないそうだ。なので、倉庫が空になるほど盗みを繰り返されても、気づくことはないそうだ。それは、営業熱心なセールスマンがばらまいたと思って喜ぶだけだそうだ。これは、新聞社が部数以外の管理を集配所にさせていないからだろう。
田辺さんは定期的にエリアを決めて毎日、街に出た。それは販売店の立地などを選ぶためだ。昼間、見回りをし、現地調査をし、計画を練っていた。
雨、寒い、暑いなどの理由で天候が悪い日はサウナでひっくり返り、「酒でも呑んで英気を養っていた」という。
また、田辺さんも普段は小さなシノギもするようになっていたが、それも新聞社である。それは美術展、美術館のチケットを、集配所から巻き上げる。近くに転居してきたと巧みに話をし、在庫分、全部詐取してしまうのである。そして、数軒、回って、まとまったところで、新宿西口のチケット買取のお店でなるべく高く売るのである。
なので、一部ハッタリもあるが、中卒と思えないほど、田辺さんは美術や洋画などに通じていた。都内の美術館の立地や事情も詳しかったことは言うまでもない。まさに、シノギの最低限の知識なのだ。
当時、60歳代半ば、そんな田辺さんが初犯になったのは意外に遅く、35歳くらいになってからのことだ。
それは、運転手で手伝ってもらっている友人の誘いで、金庫破りのアシスタントになったことである。田辺さんは、全く初犯で、重要な役割を担っていなかったのだが、それが初犯で、強盗ということになったらしい。
田辺さんが前科を重ねたのは意外に少ない。少なくとも新聞社相手に巻き上げた数億円は闇から闇に消えている。田辺さんは、新聞業界に特化した詐欺と詐取に専念していれば、捕まらなかっただろう。
そして、私が2泊3日で出ることになったので、最後に名前を教えてもらい、その後、田辺さんは懲役の際、衣類がちゃんとしたものでないと嫌なので、拘置所か、留置場に届けてほしいということだった。

3.東大法卒の殺人未遂!? エリートサラリーマン
留置場には、もう一人、行儀のよい人が含まれていた。しかも、腰が低く、聡明そうだった。
田辺さんによると、東大法学部卒業のエリートらしく、年齢は30歳代前半、精神的に不安定なところがあり、いわゆる「てんかん」持ちらしい。会社からも、無理をしないように、と言われており、職場で結婚した美人の奥さんが、様子を見て、おかしいなあと感じたら、出社を留まるよう、声掛けしていたようだ。
田辺さんが言うには1か月を超える留置で、異例のことであり、これまで精神鑑定だけでも2回、行っているらしい。
通常の取り調べ、判決などは、東部は霞が関、西部は立川の各東京地検、裁判所(東京地裁)に行く。ただし、精神鑑定だけは通常、西部の事件でも霞が関まで行くことが多い。
ところで、このエリートがどんな事件を起こしたのかというと、実に些細なことなのだ。もちろん、私や田辺さんのように、大なり小なり、窃盗を起こしたこともないし、誰かを殴ったわけではない。
ある日ある朝、エリート夫は、仕事の納期を気にしながら、いささかハイテンションになっていたのだが、その様子を見て、奥様が、
「あなた、今日は出社を見合せられた方がいいので?」
と切り出したことから口論になり、夫は、包丁を取り出してしまい、
「仕事には納期があるんだ!」
とわめき散らした。
あまりの激昂ぶりに驚いたのは誰よりもお嬢様で、すぐに携帯から110番し、警察に通報された。
勤務先は、人気企業10社に入る大手家電メーカー。
そして、三者を警察が別々に取り調べた結果、その罪名は「殺人未遂」ということになった。
風邪をひいて体調がすぐれないとの一報で、会社を休んで1か月。
エリートサラリーマンは元のエリートに戻れるんだろうか?